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大滝詠一さん死去!65歳 自宅で倒れる!死因は?

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88-ootakieiichiミュージシャンで音楽プロデューサーの

大滝詠一さん(65)が30日午後五時半頃、

自宅で倒れ、病院に搬送されました

死亡したことが31日明らかになりました。

大滝さんは突然倒れ、家族が

救急車を呼び救急搬送されましたが

搬送中にすでに心肺停止状態だったそうです。

 

 

大滝さんの死因は解離性動脈瘤(りゅう)だったそうです。
まだ65歳という若さでの突然の死に昔の仲間や芸能関係者からは
驚きと悲しみのコメントが寄せられています。

 

大滝さんは1948年7月28日に岩手県江刺郡梁川(現奥州市)に
生まました。

母子家庭で育ち、小さいころから音楽に興味をもっていたそうです。

1964年に岩手県立花巻北高等学校に入学。
下宿で一人暮らしをしますが、授業料を全部レコードにつぎ込んで
しまっていたため、1年で退学させられてしまったそうです。

その後、岩手県立釜石南高等学校(現:岩手県立釜石高等学校)に
編入しますが、入学直前にビートルズの音楽に出会い、多大な
影響を受けたそうです。

 

1968年に早稲田大学に入学。在学中に細野晴臣氏を紹介され
すっかり意気投合。細野氏と松本隆氏によって計画されていた
新バンドに誘われ受諾。
その新バンド「ヴァレンタイン・ブルー」が翌年改名して「はっぴぃえんど」
となり、アルバムデビューを果たします。

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1970年代に入るとグループの活動と同時にソロ活動も始めます。

1973年、はっぴぃえんど解散後には自身のレコード・レーベル
「ナイアガラ」を立ち上げ、「エレックスレコード」に所属します。

プロデュース活動なども開始し、山下達郎さんや大貫妙子さんが
所属していたシュガーベイブのプロデュースを手掛けたそうです。

 

1980年にCBSソニーに移籍。
はっぴぃえんど時代の仲間だった松本隆氏と組んで出したアルバム
『A LONG VACATION』がミリオンヒットを記録しました。
この作品は1981年の第23回日本レコード大賞・ベストアルバム賞を
受賞しています。

 

1981年には松田聖子さんのアルバム『風立ちぬ』のA面をプロデュース。

1982年には杉真理さんや佐野元春さんと組んでアルバム、
『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』を発表するなど、
自身の音楽活動のほかに、プロデュース活動も精力的に
行うようになってきました。

自身の代表作には『君は天然色』や『恋するカレン』などがあります。

他の歌手にもたくさんの曲を提供しており、太田裕美さんの
『さらばシベリア鉄道』、森進一さんの『冬のリヴィエラ』、
薬師丸ひろ子さんの『探偵物語』、小泉今日子さんの『怪盗ルビィ』
など数々のヒット曲を生み出しています。

 

1985年ごろになると自身の歌手としての音楽活動を休業。
プロデュース活動などに専念するようになります。

 

そんな大滝さんですが、1997年に12年ぶりにシングル『幸せの結末』を
発表します。
これは月9ドラマ『ラブジェネレーション』の主題歌として
ミリオンヒットとなりました。

その後ソロ活動も再開し、2011年には「A LONG VACATION」の
30周年記念に合わせて、NHK-FMにて、
『今日は一日大滝詠一三昧』と称し、10時間余りにわたって特集が放送
されました。

 

大滝さんはJ-POPのほかに、自らを音頭好きと称して、数々の音頭も
発表しているそうです。

 

そんな大滝さんですが、2013年も年の瀬、30日夕方5時半頃、
自宅でおやつのりんごを食していた際に、りんごを喉につまらせて
倒れ、家族が救急隊を呼びましたがその時すでに心肺停止状態
だったそうです。

病院に運ばれましたが死亡が確認されたということです。

 

大滝さんの死をうけて、一緒に『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』に
参加した佐野元春さんは、
「大滝詠一さんが亡くなりました。日本の音楽界はひとつの
大きな星を失った。でもその星は空に昇って、ちょうど北極星にように
僕らを照らす存在となった。大滝さん、ありがとう。
ご冥福をお祈りいたします」
と悲しみと感謝のコメントを寄せています。

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

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